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大学生の頃が丁度LPからCDへの過渡期で, 中古レコード屋でよくレコードを漁ってました. 買った古レコードはじゃーじゃーと水洗いなぞしてドキドキしながらプレーヤにかけたものですが, それでもパチプチとほこりのノイズがすることがよくありました. おかしーなーと思ってよく見たら,実はSPの復刻なのでそもそもの音源にノイズが多かったって「落ち」のこともありましたが,すごい演奏と思うと録音の善し悪しやノイズなぞ,すぐに気にならなくなったものです.

いつだったかに寄席で聞いた小さんの落語も,_声を出してるんだか出してないんだかわかんないような語り_でしたが,ググッと引き付けられてのめり込むように聞きました. 伝え手と受け手の間の信号にどんなにノイズがあっても,本当に素晴しい情報が中にあると思えば必死に聞くものだし,感動が生まれるものです.

満月を見た感動を美辞麗句で表現されるよりも, ツタナイ言葉であっても小さな子供が

おつきさまがねー,まーーんまるだったのーーー

と,大喜びで話してくれたほうがずっと感動が伝わってくることもあります.

音楽でも,楽器や音は内容伝達のための手段にすぎず,音という物理信号を受け取る人間が,それを出している人からどういうメッセージを受け取るかが大事です. 結局音をはずそうがどんなにぶきっちょだろうが,伝えるべきものがある演奏は,完璧に弾いてるようで伝えるものがなにも無い演奏をはるかに上回るはずです.

などと考えているうちに,

果して楽譜の原型をとどめていないような演奏がその曲の内容を伝えることはあり得るのだろうか?

という疑問がふつふつとわきあがってきました.そういうある日,80才近いおばあさんが,50年ぶりに再開したというピアノを発表会で聞く機会がありました. そのショパンのマズルカは,失礼ながら音は半分以上はずれているのではという演奏でしたが, それはまぎれもなくマズルカで,美しい農村の情景がまざまざと浮かびあがるような素晴しい演奏でした.

というわけで,技術よりも曲のイメージ. そこには必要な知識もあるでしょうが,つまるところは_感受性や想像力_ですねー. はてさて,どうすれば鍛えることができるのやら.

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