ピアノもチェロも基本は同じだと思う今日このごろです。 でも基本的なことほど難しいもので、忘れないようにまとめてみた「掟集」のページです。
細かいテクニックをまとめた文章はよく見ますが、細かいことはともかく大事なことって案外見かけないような気がします(あたりまえなので?)。 「偉そうに書くなら弾いてみせろ!」などと言ってはいけません。 こうできたらいいなーという僕の「理想」を書いてるわけで、決して「現実」を書いてるわけではありませぬ。 そう、_「理想」は「現実」と一致することはないのです(;;)
1に歌。2に技術
問題はどう歌うかだ...
ピアノのとき注意は左手(右手に夢中にならない)
音楽の骨格をつくるのは、チェロなら右手、ピアノなら(大抵)左手。 忙しい指の力を抜くためにも重要。
まず大きな動き。そして小さな動き。
手や腕が、指が一番楽な場所に連れてくようにします。 指で移動はしないのが原則です。
無駄に動かない。動きは最小限に。
弓は弦から離さず、指は鍵盤から離さず...当然原則に例外ありですが.
+&class(daidai){手や腕の動きと胴体の動きの協調};(物理法則に逆らわない)
「無駄に動かない」ことは「動かない」こととは違います。 「無駄に力をいれた動き」をしないために「動く」こともあります。 腕を右に振るには、胴体は左に動くほうが無駄な力は入らない(運動量保存です)。 さらに、体が無理無く動くのを助けるのは足です。
+&class(daidai){鍵盤や指板の押さえは俊敏に、しかし静かに};
音楽に不必要な音をたてないように。ペダルも同様ですねー。
弾く前には頭のてっぺんからつま先まで脱力してるかをチェック(力の必要な部分はもちろん別)
自己催眠の基本ですな。
フレーズが決まれば息継ぎの部分が決まります. 息継ぎをきちんとすればフレーズの意味がはっきりします.
お流儀ってのもあるでしょうし、 さらに「原則を超えたテクニック」があるのも事実と思うのですが、 _無駄な動きや力の入ってない演奏ってのは見てて美しい_し、 そういう演奏は聞いてて気持ち良いものです。
人間ってのは、見てる人の動きを無意識に真似しようとするみたいです。 人の話を聞くときには、 自分が同じように話すならどこの筋肉を使うってのを想像しながら聞いてるらしいなんて研究報告もあるそうです。 特に成長過程はそうやっていろんな動きや仕種を身につけているのでしょう。 無理な力のはいった演奏を見たり聞いたりしてると、そういうわけでどうしても疲れてしまいます。 弾いてる本人はもっと疲れるでしょう。
そのうち時間を見付けてそれぞれの項目について、もうちっと詳しく書いてみ たいとも思うのですが、一体いつになるやら。。。
本当は「1に心」と書こうと思ったのだけど、 曲の心をつかむには「歌」をきちんとつかむ必要があるので、あえて「1に歌」としました。
文章を読むときには, 「文」・「文節」・「単語」・「音節」 といろいろな長さの単位を把握する必要があります. ひらがなの文を見たときに、分節や単語の切れ目等間違って判断してよめば、 わけのわからない読み方になりますよね? 音楽も全く同様に細かいサブフレーズの最小単位を正確に把握することが、 自然に歌うための第一歩です。
しかし、ここが日本人が西洋音楽を演奏するときの非常に大きな障害になっています。 残念ながら&class(blue){日本人が感じるサブフレーズ単位は、 西洋音楽であるべき単位と異なることが非常に多く};、これが、 かなりの(指が動く等の)技術があっても自然に歌えない人が多い一番大きな要因になっているようです. 例えば、こんな文があったとします。
ここではきものをぬいでください。
これを読むとき、
ここで、はきものをぬいでください。
とか
ここでは、きものをぬいでください。
と句点を打つなら文として成立しています (どちらが正解かは文脈によりますね?)。でも、
ここではき、ものをぬいでください。
としてしまうと、わけがわからなくなって、 口に出して読むのもどう読めば良いかわからなくなってしまします。 また、わけのわからない文は練習しようにも、過酷な機械的な練習となってしまいます。 音楽のフレージングもまったく同様です。 フレーズの捉え方を間違えたまま弾こうとすると, 機械的な技術は非常に高度なものが必要になります。 逆に、正しいフレージングを把握すれば、ずっと演奏しやすくなり、自然に歌えるようになります。\
もとはといえば、句点を打つ場所がほんの少しずれてただけ(?)のことですが、 演奏への影響は劇的です。
さて, 問題はどうフレーズを捉えるかです。 詳細は時間の都合上また(いつ?)ということにしておきますが、 ヒントはフレーズと歌詞の関係にあります(なんて偉そうに言える程わかってませんが)。 例えば、シューベルトの野ばらあたりから、 日本語とドイツ語の歌詞がそれぞれフレーズに対してどうついてるかを考えると大変面白いです。
もっとも、フレーズとアーティキュレーションと、そしてスラーの関係は実に多種多少で、 とても難しい問題を含んでます。 しかし、その場合にもわかってないといけない原則論はあります。 原則論を頭において楽譜をながめてはじめて、 アーティキュレーションの多様性の意味がわかってくるような気がしますし、 そこには、楽器の発達や音楽のスタイルの変化、 作曲家によるスタイルの違いも表れていて、大変面白いです。
ところで、フレージングとアーティキュレーションの問題というのは、 とても大事な問題にもかかわらず、どうも良い本が無いように思われます。 ご存知の方は御一報下さい。