05 Jul,2002

才能

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イギリスに何年か住んでいた知り合いから、だいぶん前に聞いた話です。

なんでも、イギリスでは肩書きが立派だからといって威張る人はいない。 偉くなればなるほど謙虚になる人が多い。 そう感じて、その理由をある偉い人きいたところ、

「私がこの地位にいるのは、他の人にない才能を天が私に与えてくれたからだ。だから、私はこの才能を、私と同じ才能を持ってない人 たちのために使う使命があるのだ。」

といった答がかえって来たそうです。

この答にはいくつかの信念が含まれているように思われます。 ひとつは、

「才能」は「天から与えられたもの」

であるということ、次に、才能は天から万人に等しく与えられるのでなく、

与えられる才能は人によって異なる

ということ、 そして、

与えられた才能は自分だけのために与えられたものではない

ということです。

ひょっとすると、ここでいう「才能」は「天から与えられたもの」なので、 「縁」とか「運」とか「環境(周囲)」とかも含む広い意味の言葉なのかもしれません。 それはともかく、何かに成功したならば、 そのための才能を授けてくれた天にまず感謝すべきであり、 決して自分だけで成し遂げたわけではないということになります。 そう考えると自然に謙虚な気持になるように思います。 また、いろいろな才能がそれぞれ別々の人に与えられるということは、 一人の人間がその人だけで完結することはなく、 お互いに補いあってはじめて社会として完結するということになります。 つまり、

才能が与えられるということは、その人には社会のなかで使命が与えられているということ

になります。

こういった考えにはキリスト教の「天職」のような概念が根底にあるように感じますが、 宗教云々をこえて、心に残っている話の一つです。

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