_「音楽」_とはとても不思議なものだとよく思います。 (今回の「音楽」は語源と関係ない話です。)
「文学」は「言葉」という「シンボル」でいろんなものを指し示してなにかを伝えようとします。 いろいろなものを見たときに、網膜にうつるのと同じ様な刺激を生み出すものをキャンバス上に作れば、 「絵」と言うものになります。 写実に凝った絵なぞは「すごーい、本物そっくり」なんて言われたりします。
_「音楽」_は、(一部の音型をのぞけば)「シンボル」でなにかを直接指し示すものでもありませんし、 普段耳にするものと同じ様な音の刺激を合成してるわけでもないようです。 もちろん何かの音真似が入ってる曲も...
アントニオ・ガデスが亡くなったとのニュ-スを見ました。 新宿文化会館で幾度となく公演を見ましたが、 ガデスの洗練されて張りつめた演出の中にフラメンコの荒々しさが溶けこんだ世界は、 一寸の隙もなく美と調和にあふれていて,同じ演目であっても見る度に感動を与えてくれました。
僕にたくさんの感動を与えてくれた人がまた一人天国に行ってしまいました。
今年のゴールデンウィークも恒例強化合宿でした。 合宿のたびに思うのですが、合宿開始後4,5日たつと音の聞こえ方がかわります。
普段の私の耳は_旋律耳_で、 和声よりもフレージングに注意が向くのですが、 それが数日立つとアンサンブルのそれぞれの音が自然に分離しつつ、かつ同時にその全体の響きが聞こえるようになってきます。 で、合宿終わって一週間ほどたつと見事に _もとの旋律耳_にもどってしまいます^^;;
同時に複数の音を聞く必要に迫られることはほとんどない日常生活を送る人と、 音楽の世界で日常生活を送る人では、 _音の聞こえ方がまるで違ってる_のかもしれません。
結構前のことですが,ロシアでのカリヨン(洋鐘)(注)の演奏の特集番組をやってたのを見ました。 ハズカシながら今まで知らなかったのですが、 ロシアの教会の_グァラングォロン_と鳴り響く鐘(ロシアン・ベル)は、 たくさんの鐘のそれぞれにヒモがついてるのを _何人かでよってたかってひっぱって鳴らす_そうで、 なんだか楽しそうです。 これから進化したらしいカリヨンってのは、 ピアノの鍵盤みたいに 並んだレバー(足元にもある)を一人でオルガン弾くみたいに操って 何十個もある鐘を鳴らして演奏するそうで、 演奏は教会の前の広場どころか、下手すりゃぁ(?)町中に響き渡ることになります。 す...
「アルプスの少女ハイジ」の再放送見るのが最近の日課です。 きょうこ隊員はしっかり全話ビデオ録画挑戦中です。 ハイジは子供のとき見たアニメの中でも、ひときわ存在感が強く印象に残ってるのだけど、 今見ても絵が素晴らしくきれいで、季節や時間によるちょっとした色彩の変化まで見事。 場面設定も細部にいたるまで、_どこまでも本物のスイス_のようです。 幼い頃のハイジの影響でスイスファンになってしまったいうきょうこ隊員は、 今回の再放送で、登場人物のテーマ音楽も一通り脳味噌にインプット。 ついでにおんじが数を数えるときに指を折る順番まで欧米式なのを見つけて感動しておりました。 昔、スイスでも放送にな...